- 在校生の方へ
- 2012.10.22
速記と私
今日は、私が速記を学ぼうと思ったきっかけを2つ、お話ししたいと思います。
この学校に入る前は、私立大学で経済学を学んでいました。当時は、ただなんとなくという理由で大学進学を選んだのだと思います。なので、自分の将来についてぼんやりとしたイメージしかありませんでした。
いろいろな仕事を調べていくときに、たまたま速記のことを知りました。詳しく調べていくにつれて、ますます速記について知りたいと思うようになったのです。私はもともと言葉や漢字に興味があったので、言葉のスペシャリストとも言われる速記者はあこがれの的になりました。速記者は自分の好みや性格に適した職業であり、もうこれしかないと思ったこともあるくらいです。
速記は、ただ゙聞いたものを書くだけの単純な作業ではありません。それどころか、速記の能力と国語力は、切って離すことができない関係にあります。速記を学ぶことによって、自分の語彙を豊かにし、表現力を磨くことができるというわけです。そういう点でも、速記学習は自分にとって意義のあることだと言えるでしょう。
私がまだ大学生だったころ、こんな光景を何度か目にしたことがあります。
講義の終わりにふと気づくと、課題の内容が書かれた黒板を、携帯電話のカメラで撮影している学生が大勢います。初めてこの場面に遭遇したとき、必死に手書きでノートをとっていた私は「こういう方法もあるのか!」と感心する一方で、しばらく自分の目を疑ってしまったのでした。
みなさんはどんなふうに感じるでしょうか?これは、私が速記を学ぶ理由にも関わってくる切実な問題でもあります。
パソコンや携帯電話の普及で文字を書くことが減り、頭を使うことが少なくなったとは、よく言われています。いったん快適な暮らしに慣れてしまうと、元に戻るのはなかなか難しいでしょうが、今やこのようなライフスタイルを見直す時期が来ているのではないでしょうか。
漢字が書けなくなったら、手で書いたり辞書を引いたりしていれば、自然と身に付きます。便利な機能に頼りすぎることなく、自分の力とうまく使い分けて努力を続けることが大切ではないかと私は思います。
速記なら怠けた体にいい刺激を与えてくれること受け合いです。
最後に、実際に速記を始めて感じたことを少し述べてから終わろうと思います。
速記を学び始めてから半年が経とうとしています。授業の内容も難しくなってきました。
改めて気づいたことは、日本語の表現の豊かさです。同じような意味でもいろんな言い方があって、人の書く文章は十人十色だということを、ひしひしと感じました。知らない言葉もたくさん出てきます。新しい言葉との出会いも、楽しみの一つです。
速記を学習するにあたって、毎日の反復練習は欠かせません。それを継続させるのは簡単なことではありませんが、日々の鍛練は必ず結果としてあらわれてきます。そのことを意識しながら、これからも精進していきたいと思います。
ありがとうございました。